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昔の女のひとは、それがごく普通なのか、家を守っている、
でも大きな決定権は男の人にあって対等ではない
当然仕事はもっていない
いくらかの人が戦争で夫をなくし、
強く生きなくてはならない環境を強いられる。
祖母もその一人だった。
家に戻れない
彼女らガ生きるには二つの方法があった
ひとつは自らが働く
もうひとつは、後妻さんになる。
どちらにしても、今までの生活が180度変わる
しかも今のような感じではなかったと思う。
彼女達は「奥ゆかしさ」と「優雅さ」と「プライド」?
を守るため、できる限りの我慢をする
それが、忍耐という宝石で、
飾られた彼女達の勲章になる。
ひび割れた手、痩せたからだ、がその勲章の値打ち。
わたしは、あんまり祖母のそういうところは知らなかったけれど
私が生まれて、彼女の関心は私に向けられたんでしょうね。
母にとっては大変なことがいろいろあったんだろうと思います。
たまに感じることは、突然(本人はそうではないんでしょうが)怒り出すこと
訳もわからず急に怒り出す・・怖い顔の祖母を時々思い出します。
ホントにそれは突然やってくるのです。
サプライズ・カミングです!(-^〇^-)ハハハ
たとえば何かを組み立てていて
それが上手くあわない・・何度もやってそれでもダメ
すると、おっきなおとをたてて、それを投げ出す!!
わたしはその音の驚いておびえる。
父母はとっても物静かなひとだったから
それだけがとっても怖かったのを覚えています。
祖母はお裁縫がとても上手でした
編物も上手でした、色んなもの編んでくれました
そのほかにもこつこつ何でもする人でした。
田舎に育ったのでホントに小さいころ、
買い物袋いっぱい取ってきた「つくし」のはかまとりはいつも
祖母の仕事でした。
「いっぱいだね」ってチョットあきれながら
それは夕食のご馳走になってました
それは私の大好物です。・・いつだか・・それがちょっぴりでてきた
会食料理にびっくりです。
そん時はおなべいっぱいくらいあった感じです。
母がいつか怒ってたけど
祖母は私の後始末みんなしてくれてたのかも
しれません、わたしは全くわかってないんですが!(-^〇^-)ハハハ
祖母の、無意識のストレスは、色んな環境がつくり
その回避も色んな形で与えられた中で、自然にされてた感じがします。
簡単に”短気”って言葉では
片付けられないきもします。ある意味ではそれは自分を保つ
方法だったのかもしれません。
よく「尽くす」って言われるけど
何かにつけて・・尽くしてきた・・・人なのかも
しれません。