
母はよく子守唄を歌ってくれた
それはいつも同じだったか違ったのか定かではない。ただ私がすきだったのかも知れない、なぜこの歌かはわからないけど
よく歌ってくれて、今でも歌詞を覚えている。
私が「みかんの花が咲いている、うたって〜」っていうと、
「みかんの花咲く丘」って、言い直した母を思い出す。
でも、母の歌う声は思い出せない。
母は、お花が大好きだった。
家に花が飾られていない日は多分なかった。
初めの家は庭が広かったしその中にいろんな花が咲いてて 縁側や、障子からよく見えた 自然がいっぱいの庭でその中に四季があった。
だから家のなかの花は記憶に遠い。
2度目の家は庭がどちらかといえば人工で、今までより狭く、木が多かった。
そのせいか、家には花が多くなりました。
彼女は、賑やかな洋風の花が好きなわたしとは正反対に 静かな和風の花が好きでした。
彼女が特に好きだったのは”フリージャア”と”都忘れ”でした。
何故かカニサボテンの花も好きだったと思います。世話のかいあって毎年いっぱい咲いた花が玄関を冬中飾ってました。
ただ彼女が見ることの出来なかったアロエの花は
私が咲かせられた唯一のサボテンの花です。
母は、私の知ってる限りで1番だと思うくらいペン習字の綺麗な人でした。
多分それは完璧でした。1字1字丁寧に心をこめて書くのが彼女のモットーでした。走り書きする私を見てよく嘆いていました。絵を描くのもデッサンと水彩程度ですが、上手く描いていました。まあそれは彼女の学生のときのものしか見てないんですが・・・・。
母はお茶の好きな人でした。お抹茶も好きで家でもよく自然な形で立てて飲んでました。お陰で私も小さいときからお茶碗や味噌汁ワンなんかで飲んでいたので、そんなに大層なものとは思っていませんでした。
あれが苦くて普通はこどもの好きなものではないと友達が家に来たとき知りました。
(-^〇^-)ハハハ
母は、白いご飯が好きでした。というのは「お茶漬け」は食べない「丼」なんかは殆ど食べない。色のついたご飯がすきではないみたいです。、お寿司は大好きで特にちらしが好きでした。彼女の作るおにぎりは俵型でお料理は京風の味付けで、甘辛好きの父や私と正反対でした。遠足のおにぎりが私だけ俵型で、みんなの三角おにぎりが食べたくて、母にねだったこと覚えています。
だんだん薄れていく記憶の中で、母の好きなものを探すのは難しくなってきます。それは、本当にあまり表現しなかった人でした。言わないことが、1番いいことと思っている人だったから、よくわたしは「しゃべりすぎ〜」と諭されていました。母は”秋”が好きだといいました。落ち着いてて「実り」があって。
寒さに向かうあの静かさが好きだといいました。色は白とブルーが好きでした。母の写真の中で一番心に残ってるのは「ローマの休日」のオードリー・へップパーん」が長い髪を切ったときと同じような髪型で、服装も白のブラウスにクロのフレアースカート、まぶしい太陽の光りに恥らった微笑が爽やかで、私のお気に入りの母の写真です。チョット違うのは腕の中には私が抱かれていることです。 相手役のグレゴリーペックは、母と私のお気に入りの映画俳優さん(笑)
みかんの花が咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える青い海
お船が遠く 浮かんでる
いつかきた丘母さんと
一緒に眺めた青いい海
今日は1人で来てみたら
やさしい母さん思い出す
これは2番か3番かわからない
もしかしたら歌詞間違ってるかも?後で調べます。
でも私が思い出すのはこれなんです(*^-^*)
母も父も好きだったものは”映画”"宝塚歌劇”
よく連れてってくれました(これは行かされた・・かな!)
まあわたしは、隣の遊園地の方がお目当てでしたが。
誰のファンというのではなかったと思いますが季節ごとのショーには行ってたように思います、ファンタジックな美しい世界が共通ワールドだったのかもしれません。そこには音楽がありダンスがあり発見がありました。異文化空間だったかもしれません。とにかく美しいものへの探究心はあった気がします。わたしは、キャラクターショーが好きだったり〜〜、メリーゴーランドが好きだったり。でも色とりどりの衣装は、着てみたいでした。あのドレスは女の子の永遠の夢なんでしょうね(*^-^*)
母がよく言った言葉
実るほど頭をたれる稲穂かな
飛ぶ鳥後を濁さず
新しいところでは1年
「見ざる言わざる聞かざる」・・・学ぶ姿勢
一期一会